第20回:ウィンクル・オンラインセミナー
【創業322年目の今、取り組んできたこと】
■講話:御素麺屋(福井市):代表取締役社長 小寺洋太郎
■収録日時:2021.6.3(木) 19:00~21:00
「伝統」を守る一方で「革新」がなければ300年以上も続かないと思います。
看板商品は「かりんとう饅頭」が屋号は「そうめんや(御素麺屋)」
【徳川幕府260年、それ以上もながく繋がるのは何故?】
創業322年と聞いてたが、創業者と思われる人の命日(古文書で残っている最古の資料)から数えた年数らしく、推定350年以上も繋いでいるのが福井市の御素麺屋さん。
今週は北陸地区でオリンピック聖火が繋がれていますが「繋ぐ」ことの奥の深さとパワーを感じた小寺洋太郎さんの話でした。
2年前、15代目として社長就任の挨拶での一つの宣言が「17代目につなぐこと」
16代目でなく、その先の17代目のことを考えている。
長期的(遠くからの)視点を持ちつつ、手を打つのは無理なくできること。
洋太郎さんが生まれる前に亡くなった曾祖父の「命日だよ」と指摘するほど長く働いておられるスタッフも多い。
その人達がついてこれないことはさせない。
一方で最新のAIテクノロジーで客数を予測することで残業がなく有給休暇もとれる職場環境としている。
・店舗(3店)の数は増やさない。
・地域密着を守る。
・客層を変えない。
・原則、卸はしない。
・急激に成長させない。
お客様を変えずに、年輪のように少しづつ増収させてゆく。
・家訓はない。
・経営理念もミッション、ビジョンも掲げていない。
でも300年以上続いている。
一見、相反するように感じることもありますが話をよく聞くとシンプルで筋が通っている。
300年前の親が子供に伝えることを、今も同じ言葉で伝えることが大切では。
(その当時、次の代に「ビジョン」を持ちなさいとは言ってないハズ)
かつて一番売れていた商品を廃番にしたから、今の看板商品「かりんとう饅頭」がある。
そのナンバーワン商品に対してもスタッフは「9割の人が買ってますから、これ以上伸びません。」
と思い込んでいたが、棚配置を変えたりPOPを工夫したり、自信を持って「明日だと風味が落ちるので、必ず今日食べてくださいね。」と勧めると倍増。
それでも社長はまだまだ地元の人に浸透してないとみている。
最後に【かりんとう饅頭】開発秘話:
弟の小寺祐次郎さんが東京の修行時代に作ったことがキッカケだが全くの別物になった。
独創性を出せたのは、かつての風習「まんじゅう撒き」(婚礼のお祝いで饅頭をばらまく)で培われた技術を組み込んだから。
最近はつくることもなくなった特殊な製造方法だが、工場長がこの技術を引き継でいたからこそ完成した。
時空を超えて文化がイノベーションの「種」として【繋がった】事実に驚きました。
Japan文化おそるべし!
一般的な経営セミナーでは気がつかない視点や判断基準。
「繋ぐ」ことを真剣に考えぬいている小寺家の考え方は以外でもあり、深かった。
【プロフィール:小寺洋太郎(こでら ようたろう)】
創業1699年(元禄12年)、300年以上続くお菓子屋の15代目として生まれる。各方面から「あんたは御素麺屋さんの息子なんだから」と言われながら育つ。同時に、小さい頃の家業の手伝いを通じ、商売(経営)に興味を持つ。
大学卒業後、経営コンサルティング会社に入社。様々な経営者、仲間、上司、会社を通じ、商売(経営)の楽しさ・面白さを教えていただく。
2013年2月、御素麺屋に帰り、新しい気づきの毎日。2019年7月、事業承継で、代表取締役社長に就任。多くの人のご縁と支えあって、商売をさせていただいている。
■株式会社御素麺屋(そうめんや):
一見、お菓子屋とは思えない「御素麺屋」という屋号ですが、名前の由来の文献は正式には残っていません。
しかし、長きに渡って言い伝えられてきたのは、『1699年(元禄12年)の創業時、当時の越前藩藩主松平吉品(まつだいらよしのり)公の病気の折、“そうめん”を献上し、それを食し病気全快になられ、それにより「御素麺屋」を与えられた』ということです。
http://www.osoumenya.jp/